僕が出会ったすごい人 - 映像制作・動画制作会社 - ARTSTECH(アーツテック)

僕が出会ったすごい人

2025.06.30 (Mon)

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今回のコラムは、アーツテック代表・酒井靖之監督がご自身の人生で出会った「すごい人」たちについてです。

人生の節目で出会い、強く影響を受けた人々の話です。

 

どの出会いも偶然ではなく、監督が真摯に向き合い、自らの道を探求してきたからこそ生まれたものだと感じます。

 

私たちスタッフも、監督の背中を見て日々学び、励まされています。

 

ぜひ、ご一読を。

 

 

 

 

■大山倍達先生

 

格闘家への夢

 

知っている人は知っている、知らない人は知らないと思いますが、十代の頃の僕の夢は、格闘家として飯を食っていくことでした。

 

ただ夢見ていただけではなく、十歳くらいから二十歳までは、一日も休まず、本気で厳しい練習していたものです。

 

小学校、中学校時代には柔道。

 

そして高校生になり、東京の極真空手総本部に入門しました。

 

当時は「泣く子も黙る極真」と言われるほどで、不良やヤンキーはおろか、○クザからも恐れられる存在。

 

その練習の厳しさは尋常ではなく、入門の際には、「道場内で死んでも文句はありません」という誓約書を書かされ、入門したものです。

今のコンプライアンスでは絶対にNG。まあ、古き良き時代でした。

 

しかし、ほとんどの人が、1日でやめてしまう。

僕は入門初日に、大会に出場している黒帯の先輩に徹底的に叩きのめされ、びっこをひいて家に帰ったのを覚えています。

 

 

伝説の偉人と会う

 

極真会館の長は、大山倍達先生。

いわずと知れた「ゴッドハンド マス・オオヤマ」です。

 

知らない人もいらっしゃるかと思いますが、この方は空手を全世界に広めた方です。

世界各地を回り、その土地、その土地のプロレスラーやボクサーたちと真剣勝負をして、いわゆる喧嘩旅で空手を広めていった偉人。

 

『空手バカ一代』という全29巻の漫画がありますが、この漫画の主人公が大山倍達先生。

ビール瓶を素手で叩き切ったり、10円玉を親指と人差し指で曲げたり、牛と戦い「牛殺しの大山」と呼ばれるようになったエピソードは、漫画でもアニメでも描写され、大きな話題になりました。

 

日本よりも世界で有名な人で、K-1全盛期の頃のピーター・アーツやアーネスト・ホースト、アンディ・フグなど、ほとんどの選手が、大山先生の弟子・孫弟子の人たちでした。

ヨーロッパの立技競技で、先生の息のかかっていない選手はいないんじゃないかな。

 

とにかく漫画の中ではあまりにも偉人過ぎて、入門しても本当に、この大山先生に出会えるのだろうかと、半信半疑だったものです。

 

しかし、恵まれたことに、大山先生に出会えたのは、入門後、数日たってからでした。

大山先生は当時、60歳を超えていたと思います。

 

漫画で描かれていたようなフサフサした髪の毛は既に無くなっていましたが、その身体つきは半端ではなく、まさに岩山が歩いているような姿でした。

 

ある時、大山先生のお話を聞かせていただける機会がありました。

 

僕たちはひと言も聞き漏らすまいと直立不動。

先生の言葉を身に入れようと必死でした。

 

先生は喋っていくうちに熱が入ってくる方で、夏の閉め切った、40℃を優に超える道場の中で、1時間20分にも渡り訓話をしてくださいました。

僕は「これが地上最強の男なんだ」と大山先生をひたすら見つめていました。

 

「キミたち、つまらない喧嘩はするな。だけど、喧嘩をした以上は絶対に相手をぶちのめさないといけないよ」

 

「キミ、そんなようじゃ、牛は殺せないよ」

 

高校一年生だった僕には、何を言ってるんだかさっぱり分かりませんでしたし、

別の星から来た宇宙人のような存在に思えたものです。

 

 

合宿の思い出

 

一度だけ、稽古をご一緒させて頂いたことがあります。

一週間に渡る夏合宿でした。

 

大山先生の気合は、並大抵の気合ではありません。

「人間の声じゃねえな」と思っていました。

 

大山先生が、空手の「息吹」という呼吸法を動物園でやったところ、虎が吠え返したという逸話がありますが、それも満更ウソではないと思えるほどでした。

 

夏合宿はとんでもない練習量で、特にきつかったのが、朝食前の練習。

まず砂浜を十キロ走り、その後、馬飛びや、人をおぶってのダッシュを延々とやらされました。延々です。いつ終わるのか、見当もつきませんでした。

 

しかも、いっさいの水分摂取なし。

早朝からすでに気絶しそうな状態で、皆ふらふらでした。

 

そして、朝食。食事は大量に摂らされます。

「身体をデカくしろ」が、極真の合言葉でした。

しかし、疲れすぎで、まったく胃が受け付けないのです。

 

先生に「なんだ、キミたちは。もっと食べなさい」と言われ、無理やり胃に詰め込んだものです。

吐き出す人が続出したことを覚えています。

 

その後、大山先生に何回もお会いする機会がありましたが、いつまでたっても普通の人間とは思えませんでした。

 

とにかく、何をするにもスケールが大きい。

本当に凄い領域にまで行くと、ここまでになるのか。

でも、僕はそんな領域には行けることはないだろうなと、15歳の僕は悟らざるを得ませんでした。

 

漫画とは随分違う人でしたが、スケールの大きさという点では、漫画以上でした。

後にも先にも、あれだけの強烈なオーラと存在感を持った人は見たことがありません。

 

15歳という多感な時期に、伝説的な偉人に直接指導して頂けたことは何物にも代えがたい財産だと思っています。

 

 

その8年後に大山先生はお亡くなりになりましたが、今でも、大山先生の空気や声のトーン、ちょっとした仕草まで、ずっと心に残っています。

 

 

 

■矢沢永吉さん

 

スーパースター現れる

 

 

23、4歳の頃、映画の助監督を一旦辞めて、編集技術を学ぶために、

編集室のエディターとして雇ってもらっていたことがあります。

 

その頃は、24時間365日、スタジオからほとんど出ることができず、

今日はいったい何日の何曜日なのかさえも分からないような生活を送っていました。

 

ある時、僕の中のスーパースター、矢沢永吉さんの仕事をさせて頂く機会がありました。

 

東京ドームと横浜アリーナのライブビデオの編集だったと記憶しています。

15台以上のカメラの素材を、悪戦苦闘しながらスイッチングさせていただきました。

 

その最終チェックに矢沢永吉さんがいらっしゃったのです。

 

何人ものお付きを従えてスタジオに入ってくる矢沢さんは、まさに「ロック界ののカリスマ King of Rock  矢沢永吉」でした。

 

「どうも」と颯爽と現れ、映像を見て「いいんじゃない?」とひと言。

 

 

スーパースター、カレーを注文?

 

やがて昼になり、「スタッフの皆さん、あまり外に出る機会がないでしょうから、一緒に食事でもどうですか?」と近くのホテルのレストランへ誘っていただきました。

 

メニューを見ると、どれもびっくりするくらい高く、一番安いカレーを注文しようと思っていた矢先、

矢沢さんは「俺、カレー」と注文。

 

もちろん、僕らスタッフ全員「同じのでお願いします」と。

 

矢沢さんはカレーが大変お好きなようで、

「このカレー、うまいね」「おいしいね」と散々褒めちぎりながら、食べていらっしゃいました。

 

「スーパースターもカレーを食べるんだ」。

当時の僕の偽らざる心境です。

 

 

矢沢さんがウエイターの方に「シェフ、いらっしゃる?」と尋ねると、

慌てた様子でシェフがやってきました。

 

矢沢さんは「美味しいカレーでした。大満足です。ありがとうございました」という趣旨のことを話されたのですが、それが実に格好良かった。

 

スーパースターなのに、その店で一番安いカレーを食べる。

そして、ちゃんと御礼を言う。

こんな男に俺もなりてぇ、と思ったものです。

 

「僕はねえ、高いものを食べているイメージがあるみたいだけど、本当はこういうものが大好きなの。そりゃ、たまには食べるけど、基本的には贅沢しないんですよ。ワインもそんなに高いものは飲まない」とおっしゃっていたと記憶しています。

 

こういう男になりたい。その前に、金を稼げる男になりたい、と感じさせてくれた出来事でした。

 

 

■NYのビル王 A氏

 

取材の前の緊張感

 

10年程前、ニューヨークに取材に行かせて頂いた際、マンハッタンのビル王と呼ばれているA氏を取材させていただきました。

 

ニューヨークの大きなビルのほとんどが、ユダヤ系の方々が所有されていると言われています。

 

約束当日、マンハッタンで一番かっこいい、モダンなビルの最上階に通されました。

これまでも、多くの有名人、著名人、政財界の人、総理大臣にまで取材してきた僕も、さすがに緊張したものです。

 

その時、物腰柔らかな執事の方がひとりやってきて、お飲み物はいかがなさいますか?と聞いてくれたのです。

白人のアメリカ人男性でした。

 

僕らはコーヒーをお願いしました。

執事の方が、コーヒーを持ってきてくれました。

僕らにサーブしたのち、その方は僕らの前に座ったのです。

 

その執事の方(と思っていた)こそ、NYのビル王 A氏だったのです。

 

 

ビル王のサクセスストーリー

 

英語の苦手な僕たちにも分かりやすい言葉を選んでくれて、ご自身の生き様だったり、想いを柔和な表情で語ってくれました。

 

僕は質問しました。

 

「あなたの地位を虎視眈々と狙っている人がいらっしゃるかと思います。そのような方々に対し、あなたはどのような気持ちでいらっしゃいますか」と。

 

すると、A氏の表情が変わり「わたしは、絶対に負けるわけにはいかない」と答えました。

 

A氏は十代の頃はどうしようもない生活をしていたそうです。

親や学校からも見放される超問題児。

ブロンクスのバーに入り浸っていたそうです。

 

ある時、バーで、あるユダヤ人と出会って、人生が変わっていったとのこと。

そのユダヤ人は、ニューヨークにいくつものビルを持つ大富豪。

A氏は、その方の会社に入ることになりました。

 

 

これは僕の想像ですが、A氏は想像を絶する働きぶりで、経営者に尽くしていったのでしょう。

ある不動産のソフトを開発して、その会社は大変儲かったと聞いています。

 

驚いたのは、ユダヤ人経営者が現役を引退する時に、「君が私の後を継ぎなさい」と指名されたということ。

十代の時に拾われたひとりの青年が、ビル王の二代目を継ぐ、という、まさにアメリカンドリーム。

 

「先代の意思を継いでこの会社の経営者になった。先代のためにも、絶対に負けるわけにはいかない」

A氏は、力強く言い放ちました。

自分の師と慕う人のためには、命を投げ打ってでも戦う。

この人こそ、青い目のサムライだと感じました。

 

後日、私は招待されて、A氏のご自宅に伺いました。

 

ヤンキースにいた松井秀喜が、よくバッティングセンターで取材を受けていたことを覚えてらっしゃる方もおられるかと思いますが、そこはA氏の自宅の地下にある、バッティングセンターだったのです。

そのバッティングセンターは、市に無料で開放しているとのことでした。

 

地域の方たちも自宅に招待して、その日は10人くらいの老若男女が集っていました。

奥様手作りの料理を振る舞う姿は、本当に気の良いおじさん(失礼!)でした。

 

単にお金を稼いでいるだけではなく、地域貢献もしている、本当の意味での名士です。

 

柔和で気の良い、そして最上級のビジネス戦士。

この人も、僕もこうなりたい、と思わせてくれた方でした。

 

 

■わが町の町内会の会長さん

 

無名の英雄

 

最後にもう一人。

 

朝早く出かける時いつも、とある方が、地域の周りを掃除しているところに出会います。

 

うちの地域の町内会の会長さんです。

 

会う人、会う人ごとに、いつも気持ち良い挨拶をしながら、黙々と掃除をする姿に、

無名だけれども、本当に偉い人はこういう人なのかもしれない、と思わせてくれます。

 

少し前まで、地域で有名な蕎麦屋さんをやってきて、繁盛していました。

僕もよく行かせていただきました。

 

おそらく高齢のために、店を畳んだのでしょう。

 

その後も隠居というわけではなく、地域のために、毎朝の掃除も含めて、今でも元気に活動していらっしゃいます。

 

誰も見ていないところで、誰もやりたいくないことを頑張れる。

こうした無名の英雄から、僕は人生に大きな影響を与えてもらっています。

 

 

■おわりに

 

僕の人生において、私が出会ってきた素晴らしい人々は数えきれないほどいます。

今回ご紹介した方々も、その中のほんの一部に過ぎません。

 

時間やスペースの都合で今回は割愛しましたが、また別の機会に、彼らの人生や言葉、そして背中から受け取った教えを皆さまにお伝えできればと思います。

 

様々な方々との出会いは、僕の人生の支えであると同時に、仕事の原動力でもあります。

 

 

僕の仕事、映像制作という仕事も、決して楽な道ではありません。

 

何度も壁にぶつかり、迷い、悩むこともあります。

尊敬する方々の言葉や姿勢、そして生き様は、作品づくりはもちろん、人生の試練を乗り越える大きな力を与えてくれました。

 

僕がまがりなりにもここまで来られたのは、こうした多くの方々との出会いがあったからだと感謝の想いでいっぱいです。

 

 

彼らから学んだことを、少しでも多くの人に届けたいと願っています。

そのためには、自分自身も常に成長を続けなければならない。

 

まだまだ至らない部分も多いですが、日々の経験と出会いを大切にしながら、慢心することなく、さらに進化を遂げていきたいと考えています。

 

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