「助手」入門 若き皆さんが、黄金の時期をいかに過ごすか
2024.01.29 (Mon)
2024.01.29 (Mon)
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かつて、映像の監督、カメラマン、照明といったポジションは、3年、5年、10年と助手を経験してから、一本立ちをすることがあたり前でした。
現在では、専門学校を出てすぐの若者が、動画クリエイターとして活動することも多くなりました。
僕は、アシスタントを経ないで一本立ちしていくことに対して、異議を唱えるつもりはありません。
これも、今流の働き方なのだと思います。
ただし、これからドラマだったり、映画だったり、TV-CMだったり、より多くの人に見てもらう作品に携わりたいと思うなら、ぜひ助手としての経験を積んでもらいたいのです。
こうした作品は、大勢のプロフェッショナルの人間が関わるものであるし、そのヘッドとしてやっていくなら、スタッフ皆にリスペクトされるような存在でなければなりません。
そうした意味では、助手時代に学ばなければならないことは山ほどあるのです。
自分の技術やスキルを積み上げていく期間は、大変かもしれませんが、実は黄金の時期なのです。
僕は、演劇では演出助手として、映画では助監督として、しっかり学ばせて頂きました。
比較的、短い修業期間ではありましたが、今思い返しても、自分を作ってくれた本当に貴重な時間だったと言えますし、指導していただいたすべての方に感謝の思いでいっぱいです。
欲を言えば、「あの時、もっと学んでおけば良かった」と思うことが、たくさんあります。
なぜなら、今の立場(監督・演出家)になると、分からないことがあっても、他人には聞けないから。
皆さまの本舞台は、30代、40代からです。
たったの3年、5年、助手として覚悟を決めて学ぶのも良い生き方だと思います。
映像や動画制作のスタッフには、カメラマン、照明技師などのポジションがありますが、ここでは助監督やADなど、演出の助手について語らせていただきます。
助監督は、読んで字のごとく、監督の助けになることをしなければなりません。
一番大事なことは、監督が何を必要としているのかを察知して、常に先回りの行動を心がける事。
つまりは監督と呼吸を合わせることです。
「俺はこんなにがんばっているのに評価されない」と悩んでいる人は多くいらっしゃいます。
かつての自分もそうでした。
往々にして言えるのは、がんばっているのは間違いないのですが、メインの人との呼吸がずれているが故に、全く助けになっていないのです。
「違うだろ!これを頼んだんじゃない!お前はシナリオを読んでいるのか!画が見えているのか!」と、かつての僕も怒られました。
それは、監督と同じ世界が見えていない証拠です。
映画の助監督時代、いつ何時でも監督と呼吸を合わせられるように、常に監督のそばにいるように教えられました。
監督という特殊な職業な方々は、いわゆる芸術肌の最たる方々。
突拍子もないアイデアをいきなり出したりすることも珍しくありません。
例えば、監督がスタッフと食事している時に「こういう風にしたら、もっと良くならない?」などと、カメラマン達と話していたりするケースがよくありました。
監督のイメージを寸分も違える事がないよう、緊張しながらも、監督の横で食事をしていたものです。
それが呼吸を合わせるということだと思います。
演劇の時代の師匠は、仕事を教えてくれるタイプではありませんでした。
僕の師匠は、朝稽古場に来ると、必ずお茶を飲みます。
丁稚奉公として学ばせていただいていた身としては、お茶を淹れるのは自分の役目と思っていました。
お茶を徹底的に研究して、自分なりにお茶の淹れ方を学びました。
仕事でほめられることは一切ありませんでしたが、「お前はお茶の淹れ方がうまいな」と、そこを一点だけ認めてくれたのは嬉しかったものです。
こちらがいくら師匠に呼吸を合わせようとしても、相手がこちらを向いてくれなければ呼吸は合いません。
そのためには、監督や師匠に「いかに気を遣えるか」ということが重要になります。
指導をしたり、叱咤激励をするのは、体験した人ならわかると思いますが、大変なエネルギーを要します。
忙しい方々にそれをしていただくためには、最低限の気遣いは必要なのだと思います。
なにも、毎日顔を見たらお茶を淹れろ、ということではなくて、やはり、気に入られるための努力、こちらを向いてもらうための努力はしていかなければならないと思うのです。
僕も常々若い社員には、「気を利かせていきなさい」と教えています。
「もともと気が利かなくても、気を利かせられるように努力していきなさい。プロフェッショナル集団のチームリーダーにならなければいけないのだから」と伝えています。
ロケバスに乗ったら、暑いのか、寒いのか、自分の席だけではなくて、後ろの席も温度調整に気を遣う。
ロケ中は、「水分は足りているだろうか」「何か困っていることはないだろうか」と、どんなに忙しくても、いろんな人に対して気を遣える人が、結局は可愛がられて上のポジションに行く。
はっきり言ってしまえば、出世する人は「気の利く人」です。
その実例をたくさん見てきているし、そこには純然たる法則があるのだと思います。
またクリエイティブに関しても、気の利かない人、つまり鈍感な人には良い映像は撮れないと思っています。
ちょっとした「気付き」の集合体が、「良い映像」なのですから。
いろんな人に気を遣うと、やがてそれが大きく増幅して自分に返ってきます。
私ごとで恐縮ですが、僕は元来、気の利くタイプでした。
武道経験の長いことが、良い影響を与えてくれたと思っています。
助監督時代はそれこそ、いろいろな人に気を遣っていました。
「皆のどが渇いてないだろうか」、「弁当はあの人とあの人は大盛りだな」、「監督は今日顔色が悪いから栄養ドリンクを差し入れよう」、などを常に考え行動をしてきました。
ロケ中の昼食時はもちろん、出張時のスタッフとの夕食も、常に話題を作るムードメーカーとしての役割を演じてきました。
つまりはピエロ役です。
そうした行動はとても疲れるし、本当は嫌なのですが、何もできない分、そうした気遣いの分野では「これが俺の仕事」との誇りを持って取り組みました。
自分がメインの立場になってわかったことですが、気を遣ってもらって嫌な思いをする人はいません。
気を遣っているうちに、だんだんと監督やスタッフ、演者さんから可愛がられるようになったのです。
そうした行動は、誰かがちゃんと見てくれているものです。
それが、僕の出世が早かった1番の理由だと思っています。
気が利く、呼吸を合わせることは大前提として、もう一つ大事なことが挨拶です。
相手がどんな立場の人でも、気持ちよく挨拶できる人は、自ら光を放てる人になるための素養があると思います。
往々にして、人は易きに流れます。
その易きはまた「悪い方の基準」である事が多い。
気持ちよく挨拶してくれる人には気持ちよく挨拶するが、挨拶を返さない人、嫌いな人には目を合わせもしない。
「お前も挨拶しないなら、俺もしないよ」と。
それでは、いけないと思うのです。
誰に対しても分け隔てなく気持ちよく挨拶できることは、相手の悪い影響に流されないための大切な訓練でもあります。
自分が太陽の存在になって、光を放っていく。
相手が挨拶を返そうが返すまいが関係なく、いつ何時でも気持ちのいい挨拶をする。
それが、やがてリーダーになっていく人の思考と行動です。
監督は細かいところまでジャッジしています。
当たり前ですが、それはすべて意味があってジャッジしているのです。
ジャッジ、ダメ出しが画にどう影響しているかということを、現場の中で、感覚的に分かるように努力していってください。
僕が撮るショートフィルムは、脚本で描いた登場人物すべて、「こういう人物像」というイメージがあります。
ですから、ヘアメイクやスタイリストとの打ち合わせ時も、人物像、着ている服のイメージを細かく指示します。
イメージが少しでも違うと、当然やり直していただきます。
そうした細かなこだわりを大切にするかしないかで、作品が良くもなり、悪くもなるからです。
僕は、自分の撮りたい画のためには、絶対妥協しません。
大抵の監督さんたちは、そうなのではないでしょうか。
だから、大抵監督という職業の人たちは、「あの人はワガママだから」と言われてしまう。
今では、それも褒め言葉として受け止めるようにしています。
皆さんも、監督のジャッジをよく聞いて、その意味も考えるようにしてください。
やがて、その意味が見えてきます。
そうすると、自分もできるようになるのです。
良い映像を作るには、当然センスが必要です。
センスの良い監督は、センスの良い作品を創ります。
なぜセンスの良い作品ができるのか、その法則を読み取ってください。
カメラワークなのか、グレーディング技術なのか、衣装なのか、照明なのか、その理由はいくつも挙げられると思います。
また、センスを磨く努力を忘れないでください。
良い本、良い音楽、良い舞台、良い服、良いカフェ、良いバー。
今の日本は、センスの良いもので溢れています。
格好良いお店(洋服屋さん)は、センスの良いデザインの服はもちろん、インテリア、照明、かかっている音楽、何もかも格好良いものです。
ファッションで言えば、高いものを買わなくても、センスを磨けばおしゃれに見えます。
また僕の話で恐縮ですが、映画の助監督時代、「お前は美術や服装のセンスがいい」と信頼されて、美術デザイナーや衣装部さんにアイデア出しを任せてもらっていたこともあります。
小学生の時から海外のファッション誌、ライフスタイル誌を見るのが好きだった(とんでもないませガキ!)のが、役立ったのかもしれません。
僕は、ダメ出しされないものを用意しなければならない、ということにこだわってきました。
この設定の人はどういう趣味ですか、としつこく監督に聞きました。
また、映画は時代考証が大切です。
この時代はこう。あの時代はこう。
インターネットの普及していない時代、何度も国会図書館に行っては調べ物をしていました。(今はもちろんインターネットを活用しています!)
そうして、この人の服装はアメカジではなく、イタリアンだな。
食事はハンバーガーじゃなくて、パスタだな、という細かなディテールを作っていきました。
こうした仕事を通して、センスの良い悪いを見極める目 ―審美眼― を訓練させてもらったのだと思います。
映画という大所帯の撮影では、とにかく、元気でいることが大切でした。
演者、スタッフ、総勢100名超。
朝早くから夜遅くまで続く撮影。
テッペン越え(深夜24時越え)も当たり前の世界。
待ち時間が長かったりすると、演者さんはピリピリしているし、撮影が続けばスタッフの疲労度も激しくなります。
当時の映画用キャメラは、今のような小さなカメラではなく、二人がかりで持ち上げるようなとんでもない重さの「キャメラ」です。
照明などの機材も大がかり。
当然、動かすだけでも一仕事。
その中で、自分ができることは、元気の良い声を出して、元気に現場を走り回ることでした。
助監督はいろいろとストレスのはけ口になったりもします。
悪くもないのに「おい、ジョカン!」「バカヤロー、てめぇ!」と、よく叱られました。
その時は、「なんだよ畜生、俺じゃねえよ!」と思ったものです。
しかし、先輩の指導もあり、「すべてのことは俺の責任」と自覚してからは、自分の責任ではなくても「すみません! 自分です!」と謝るようにしました。
若き皆さんは、撮影の最初から最後まで明るく元気でいてください。
「自分は下っぱだから」と委縮してしまって大きな声が出せないという人もいるかもしれません。
でも、大切な修行期間ですので、絶対に気後れしないでください。
立場がどうであれ、いつも明るく元気に走り回ってください。
一流の人たちは、そうしたことをちゃんと見ているものです。
助手として監督と同じ目線で、同じ画を追求していくと、やがて監督と同じ世界が見えてきます。
監督が必要とするカメラワーク、レンズ、照明、演者の動きなど、それらが分かって一人前に近づいてきます。
自分が師事する人と最低限同じ画が撮れなければ、呼吸を合わせてきたことに意味がなくなります。
師匠と同じ画が撮れる。
そこに自分の個性を加味していく。
そうして、やがて師匠を越えていく。
それが一本立ち(卒業)です。
必ず、そうなれます。
助手時代は黄金の時期です。
聞くことを恐れはいけません。今しか聞けないのです。
「学ばずは卑し」。
自主的に大いに勉強し、学んでください。
そうして、流行りすたりに流されない立派なクリエイターとして、第一線で活躍いただきたい。
今は、目の前のことでいっぱいいっぱいなのはわかります。
まずは気を利かせる、呼吸を合わせる、挨拶をしっかりする、明るく元気でいる、メインの人が考えていることを見ようとする、これらのことを大事にしてください。
詮ずるところ、「人間」のいい人が得をします。
映像・動画制作と言ってもビジネスの世界。
ビジネスの世界では、「同じ力なら、人間の良いこいつに任せてみよう」となります。
僕も、人間が良い方と仕事がしたいです。
当たり前ですが、気持ちいい人が重宝されるのです。
3年経てば、見えてくるものがあります。必ず見えてきます。
それまで、あきらめずにいてください。
いつか一本立ちしたあなたの作品を観ることを楽しみにしています。
がんばってください!
(筆:酒井 靖之)
日本屈指のクリエイター、酒井靖之監督が
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