「映像業界 ブラック」「映像業界 やめとけ」に反論する
2025.06.04 (Wed)
2025.06.04 (Wed)
Googleなどの検索エンジンで「映像業界」と入力すると、候補に「映像業界 やめとけ」「映像業界 ブラック」といった、ネガティブな言葉が並ぶのを目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
はじめてこの業界に興味を持った人や、映像の仕事に憧れを抱いている人ほど、その検索結果に戸惑い、不安を感じてしまうかもしれません。
そこで今回は、映像業界で長年にわたって第一線で活躍し、数々の作品を手がけてきた弊社代表・酒井靖之監督が、こうした世間の風評に対して、現場のリアルな視点から率直な言葉で反論を綴りました。
映像業界を志すすべての方にとって、背中を押すきっかけになるはずです。
ぜひご一読ください。
Contents
「映像業界 やめとけ」「映像業界 ブラック」について、僕なりに反論させて頂きたいと思います。
なぜ「やめとけ」と言われるのか、まずはここを考察してみたいと思います。
「やめとけ」と言われる理由のひとつに、長時間労働が挙げられると思います。
昔から映像業界では、長時間拘束、深夜労働が当たり前の現場が多いと言われています。
映像制作の仕事は、企画段階から撮影、編集、音楽処理など、納品まで非常に複雑な制作工程があります。
それぞれの工程は独立しているようでいて、すべてがつながっているので、一つの遅れが全体の遅延につながってしまう。
また、プロジェクトが複数並行することも少なくなく、午前中に一つの案件の納品を終え、午後から次の案件の撮影、夜には別の編集作業、というサイクルが続くこともあります。
どんな職種でも、納期が一番大切。
納期に間に合わせるために、夜を徹して作業することが当たり前のようになっている現状があります。
ただでさえ納期が厳しいのに、変更が多かったり、修正も無償で何度もやり直しを命じられる、という現実があるのは事実です。
発注者側の事情で急にスケジュールが変更されることも多く、金曜の夕方に「やっぱり構成を変えたい」「月曜の朝に別案も見せてほしい」といった連絡が来ることは日常茶飯事。
当然、週末返上での対応になることもある。
僕がテレビ番組のディレクターをやっていた際、常に「視聴率」という得体の知れないお化けと戦っていました。
徹夜で編集しても、「これで視聴率がとれるのだろうか」と苛まれる日々。
局のプロデューサーに試写をしてもらうと、案の定「これじゃ、視聴率取れないね。やり直し」との一言。
僕はフリーだったのでまだ良かったのですが、社員だったとしたら、月の残業時間は200時間は優に超えていたと思います。
また、映像業界では、下請け・孫請け構造が多く、実際にモノを作っている人に、なかなかお金が回らないという矛盾した仕組みが存在します。
時給に換算すると最低賃金レベル、あるいはそれ以下になることも珍しくない。
「好きなことを仕事にしているのだから仕方ない」と諦めて、多くの人たちがこの問題に慣れてしまっているという現実があります。
その一つの大きな要因は、下請け・孫請けであるが故に、映像制作の単価が安すぎることです。
もう一つの要因は、広告代理店や大手制作プロダクションなど、発注元から末端の現場までの間に複数の中間業者が入ることで、費用の分配が重なり、実際に現場で活動しているクリエイターに届く金額が少なくなる、という構造の問題です。
後述しますが、これは制作会社が、自分のクライアント(広告代理店、テレビ局)に対して、立場が弱いからなのです。
そして、「やりがい搾取」と言われる問題もあります。
ひどい例として、若手やフリーランスに対し、「やりがいがあるからいいだろう」ということで、ミュージックビデオを、企画から撮影、編集までを3万から5万円でやらせるといったケースが、実際にあります。
若手はチャンスが欲しいので、仕事を受けてしまうわけです。
発注側は、こう言います。
「これは、今後の大きなステップの材料になるよ」と。
大抵は、いいように利用されて終わり、という現実が確かにあります。
かくいう僕も、フリーランスのディレクターになりたての頃は、ただで企画書をたくさん書かされたものでした。
おかげで、企画書を描くのが上手くなった、という嬉しい副産物はあります(笑)。
また現在、YouTubeの台頭とともに、高品質の映像が無料で見られるのが当たり前ということも、映像制作側にとっては非常に厳しい問題です。
YouTubeの登場は、映像制作業界全体にとって大きな転換点でした。
個人でも世界中に映像を配信できる時代が到来して、「映像・動画を作る」という行為のハードルは劇的に下がりました。
その一方で、プロフェッショナルな映像制作会社にとっては、YouTubeによる革命のしわ寄せがきている面も否定できません。
まず、YouTubeが一般的になったことで「動画は無料で見られるもの」「誰でも作れるもの」という考えが世間に広まりました。
企業も個人も、「YouTubeクオリティでいいから、安く早く仕上げて」と制作会社に依頼することが多くなり、「安く、早く、大量に」という発注を当然とする空気が強まったのです。
これにより労働環境は、さらに劣悪になっていきます。
現在、YouTubeなどをつくる、いわゆる「動画クリエイター」たちは、ほとんどがフリーランス。
劣悪な条件でも労働基準法に抵触しない、というわけです。
ここらあたりは、最近の動画制作会社はよく考えているな、と思います。
以上のような状況に取り巻かれているため、せっかくこの世界に夢を持って入って来ても、2、3年でほとんどの人が辞めてしまうという状況が続いているのです。
ただし僕は「やめとけ」と言われるこの業界に、絶望する必要がないと考えています。
イメージや風評で絶望するのはもったいない。
そこで、こうした「長時間労働」や「低賃金」に陥っている根本の問題を考えてみたいと思います。
制作会社の多くが下請け・孫請け体制に依存し、自分たちの努力で仕事を得ることを諦め、常に「受け身の姿勢」に陥っているのが大きな原因のひとつであると考えます。
もともと映像業界というのは、「いいモノを作れば、また声がかかる」という職人気質と信用の上に成り立ってきた側面が強いと言えます。
仕事は広告代理店などからやってくるものであり、自分たちでは選べないものであるという前提が、常識として染みついています。
確かに、下請けでいる方が映像制作に集中でき、毎月の売り上げを心配しなくて良い、という側面はあるかもしれませんが。
納期も金額も厳しい仕事なのに、仕事を断ることができない、という問題もあります。
それは、「断れば次はない」という不安があるからです。
ここで考えなければならないのは、「なぜ無理な要求を断れないのか」という問題です。
これは、営業のスキルや、セルフプロデュースなどの分野への投資をしてこなかった結果、価格交渉力も、選択肢を持つ力も育たず、結果としてクライアントの無茶に耐えるしかない、という構造が固定化してしまったのです。
受け身の姿勢では、クライアントとの関係性も対等にはなりません。
制作会社が営業力を持たない限り、主導権は常に発注側にあるので、金額やスケジュール、表現内容までもが、どんどん制作会社にとって負担の大きいものになっていってしまう。
つまり、今の制作会社に求められているのは、「いいものを作る」こと以上に、「どうやって自分たちの価値を正当に評価してもらうか」という視点です。
僕は、アーツテックを立ち上げた際、弱い立場の制作会社でいるのではなく、自分たちの技術を世間に知ってもらうことに力を注ぎました。
下請け・孫請けという体制を一切とらない会社としてスタートして、創業より約30年が経っています。
この業界に巣食う根本の問題にメスをいれ、自らトップランナー、ロールモデルとして、映像業界を根底から変えていくんだ、という決意でやってきました。
アーツテックでは、クライアントとは常に対等の立場である、と考えています。
お客様は僕たちを信用してお金を払っていただく。
僕たちは、持てるすべての力、ノウハウを駆使して、お客様の求める以上の効果を出す。ここに、本当に真剣に取り組んできました。
だからこそ、変に下手に出ることはなく、「無茶な要求にはお応えできません」「修正は〇回までです」と、言うべきことは言わせていただいています。
また、長時間労働にならないよう、様々なことを考え、工夫をしてきました。
そもそも、長時間労働になってしまう大きな要因は、スタッフが常に疲労しきっていることにあります。
午前や午後はほとんど機能しておらず、夜になってエンジンがかかり始める。
そして、気づいたらもう深夜…。
それでは悪循環です。
スタッフが週に何日も徹夜をしなければならない疲弊した状態で、高いクオリティのものが作れるわけがありません。
そうならないためにも、効率を考えることに注力してきました。
どんな業界でも効率を考え、ドラスティックな変革は常に行われています。
映像の世界は、効率化が最も遅れている業界です。
人間の持つ偉大な力―「創造力」を最も要される職業が映像クリエイター。
企画を考えたり、脚本を書いたりする仕事は、なかなか効率よくできないのも事実です。
今こそ効率化を徹底的に進めるべきであると考えます。
今はChatGPTをはじめとする生成AIが誕生しています。
脚本や企画を、すべてChatGPTに丸投げするのは、さすがに反対ですが、うまく活用することで、より効率化が図れるのではないかと期待しています。
編集に関しても、音声を聞き取ってテロップを自動生成するものなど、効率を高めるさまざまなツールも生まれ始めています。
こうしたものを多用して、徹底したスピードアップを心がけていくことで、今までの利益構造を変えて行けるのだ、と僕たちは考え実行しています。
映像の世界に携わるということは、見る人の人生にまで影響するような作品を作れるチャンスがある、ということです。
映像クリエイターが、作品を通してできることは、単に情報を伝えることだけではないと思います。
たった数秒のショットで、人の心を動かしたり、たった一言のセリフで、見る人の人生を変えてしまうことも、
頭の中にあるイメージをカタチにして、時間と空間を越えて誰かに届けることも、
「こんな世界があったらいいな」と皆が願う空想を、映像の中で現実のように存在させることもできる。
しかもそれは、他人に影響を与え、共感を呼び、社会に影響を与えることもあります。
それが映像制作の持つ魔法であり、責任であり、何よりも魅力だと思います。
僕は、映像を作るという仕事は、あらゆる職業の中で、最も素敵な職業だと信じています。
自分の作ったものが他人に感動と影響を与える。
発注したお客様が、感動し、涙を流しながら握手を求められる。
自分の作品が大きなモニターで流れているのを実際に見た時には誇らしくなるし、
「感動して泣きました」というレビューを読むことは、映像クリエイター冥利に尽きると思います。
僕は1年に何回もこういうことを経験しています。
こんな仕事はそうそうないはずです。
いずれにしても、少し厳しい言い方にはなりますが、映像業界を「ブラックだ」云々という人は、中途半端な立場な人や、1年や2年でやめていった人が言っていることが多いと思っています。
確かに「ブラック」と言われる側面はあるかもしれません。
しかしそれは、働く側の心の持ちようによるものと僕は思っています。
僕の例で言えば、「この作品を、なんとしても良い作品にするんだ」と懸命に取り組んでいた20代、長時間労働に何の不満もありませんでした。
自らの意思でやっていたからです。
今は時代的にそうはいかないとは思いますが、責任ある立場になれば分かることも大いにあると言いたい。
本当にやり切っている人は、たとえ長時間労働だったり、給料が少ない時期があったとしても、そこに不満はないと信じたい。
「ブラック?それがどうしたの?」と。
そういう人は、僕の周りにもたくさんいたし、今でもよく見ます。
そのような人たちはみな、懸命な努力をして、しかるべきポジションに就き、人も羨むようなギャラをもらっている。
信念のある生きざまで、後につづく若い人たちに大きな影響を与えるカッコいい大人が、僕の周りにはたくさんいます。
前述したように、「映像業界 やめとけ」云々は、映像業界を知らない人、中途半端にやめていった人たちのセリフだということを知って頂きたいと思います。
確かに、この業界には独特の厳しさがあります。
納期に追われたり、機材トラブルや現場の混乱、スケジュールの変更など、想像以上のプレッシャーと対峙しなければならないことは日常茶飯事です。
時には理不尽さを感じたり、自分の存在の意味を疑ったりしてしまうこともあるでしょう。
でも、それはこの業界だけの話ではありません。
どんな業界にも、それぞれに異なる過酷さが存在しています。
「人の命を救う」ことを使命に外科医を志した人も、現場の過酷な状況、安眠できない日々に、自分を見失ってしまうこともあるでしょう。
結論、どんな職業でも「これが自分の道だ」と志して、情熱を燃やせる仕事にはブラックもホワイトもない。
正直なところ、僕はそう思っています。
皆さんもぜひ、高い志を持って、見る人の人生に影響を与えられるような作品を作るのだ、という気持ちでこの業界を目指し、素敵な映像クリエイター人生を目指して頂けたら幸いです。
最後に。
僕は、この仕事をやってきて、本当に良かったと思っています。
映像制作という素敵な仕事に、乾杯!