明興双葉株式会社 代表取締役社長 萱野 隆文氏 を弊社 代表の酒井監督が取材
2025.05.12 (Mon)
2025.05.12 (Mon)
弊社が動画制作でお手伝いさせていただいている明興双葉 株式会社さまの代表取締役社長 萱野 隆文氏を、
弊社 代表の酒井監督が取材させていただきました。
以下が、取材内容をまとめたものです。
萱野隆文(かやの たかふみ、1964年8月10日 – )は日本の実業家、経営者。
明興双葉株式会社 代表取締役社長。東日本電線工業協同組合 監事。
信条は「仕事を遊びのように。遊びを仕事のように」。「人間誰一人、価値がない人はいない」。
福岡県出身。趣味はゴルフ、ヨガ、スポーツ観戦(ラグビー、野球)、旅行(訪れた国の数は37カ国+南極)。
妻と長女、次女の4人家族。
<略歴>
福岡県出身。幼少時より、大変な野球好きで警察官であった父から野球のスパルタ教育を受ける。
右利きであったが、父より、左投げ左打ちに転向させられる。
理由は「野球は、左利きが有利だから」。
小学校時代は、典型的な野球少年、スポーツ万能で成績も良く、本人曰く「少々、お山の大将になっていた」。
その鼻っ柱をへし折られる出来事があった。小学校6年時の、4週間にわたるアメリカ、サマースクールへの参加である。
アメリカの広大さ、自由奔放な風土、何よりも、庶民の豊かな暮らしを目の当たりにし、衝撃を受けるとともに、将来は世界を股にかける仕事をすることを誓う。
中学時代は軟式テニス部に所属し、部長を務める。
中学、高校と勉学に勤しみ、東京大学経済学部に入学。
大学時代にも、アメリカに数度、イギリスには2ヶ月間の語学留学を果たし、徹底的に英語をマスターする。
1988年に東京大学卒業後、旧・日本興業銀行(現 みずほフィナンシャルグループ)入行。
1994年、同行の留学制度を活用し、米国デューク大学大学院へ留学。
この時代の学友に、テルモ株式会社 代表取締役社長CEO 鮫島 光氏がいた。また、みずほフィナンシャルグループ社長の木原正裕氏も、学部は異なるが、同時期に旧興銀から留学した学友。
勉強に精を出すとともに、キャンパス内にあったというゴルフ場に通い詰め、鮫島氏、木原氏らとともにゴルフの腕を磨いた。
長い夏休み期間を利用し、旅に出まくったのもこの頃である。
歴史の順に旅しようと、エジプトから始まり、ギリシャ、ローマ、さらにはヨーロッパを一周。
ブラジル、チリ、アルゼンチン、パタゴニア地方、イースター島へも。
アフリカにも足を伸ばし、ザンビアとジンバブエの間にあるヴィクトリアの滝では、バンジージャンプにも挑戦した。
この時は、申し込んでから実際にジャンプするまでに6時間を要した。
待っている間に感じた恐怖は、「人生最大の恐怖」だったという。
この経験は、以降、様々な試練や苦難が訪れるたびに「あの時に比べれば、なんてことはない」と思い出すことで、乗り越える糧になった。
大学院時代の、旅のハイライトは南極。
南米最南端の、アルゼンチン・ウシュワイアの港から小さなロシア製の船に乗り、マゼラン海峡を抜けて進んでいく航路は、地獄の48時間とも呼ばれ、大変な荒波である。
トイレに立つこともできない強烈な揺れを経験したが、48時間後には南極圏に入り、揺れも穏やかになったという。
南極に上陸した時に感じた「本物の静寂」は、かつて経験したことのないものであり、大自然に対して畏敬の念を抱く。
また、ペンギンのコロニーを見学した際、雌のペンギンが産卵期を迎えており、雄のペンギンが狩に出ていく光景に遭遇する。
狩に出る列が2列、狩から戻る列が2列なって整然と進んでいくペンギンの姿は、あたかも日本人のようだったと述懐する。
面白いことに、狩に出るペンギンの中には、高い氷からジャンプして進んでいく際に、怖気付いて飛ばないものがいたり、戻る列に合流し、平気で帰ってしまう者がいたりしたという。
「ペンギンの社会も、人間と変わらないんだ」という教訓を得て、南極を後にする。
デューク大学大学院にてMBAを取得後、日本へ帰国。旧・日本興業銀行 国際営業部に配属。
2000年には同行を退職し、モルガン・スタンレー証券へ。
その後、BNBパリバ証券、リーマン・ブラザーズ証券と、外資系投資銀行を渡り歩き、ビジネススキルとともに様々な人脈を作り上げていった。
その後は、カフェ・カンパニー株式会社 専務取締役、常和ホールディングス株式会社IR部長、ユニゾホールディングス株式会社 執行役員、株式会社タウンズ 執行役員を歴任。
新昭和グループの代表取締役会長 松田 芳彦氏より要請を受け、2023年4月より明興双葉株式会社 代表取締役社長に就任。
<明興双葉の経営理念・方針>
好きな言葉が「仕事を遊びのように。遊びを仕事のように」であるように、会社を、皆が心から楽しんで仕事をする場にしたいと考えている。
そして、失敗を恐れず果敢に挑戦する企業風土を、代表就任時より作り上げてきた。
失敗から学び、それがやがて新しい価値を創造するという信念からの行動である。
また、ハリウッド・エンターテイメント映画によくある、犯罪チームのような集団を理想としている。
これは、何も犯罪を犯すという意味ではない。
銀行強盗やハッカーの集団(あくまでも映画の話である)は、一人ひとりが特化した能力を持っている。
運動は苦手で足も遅いが、コンピューターやシステムなどの解析に関しては随一の者。頭は弱いが、銃の腕前は抜群の者。普段さえないが、車の運転をさせたら誰にも負けない者。男を全員振り向かせる美貌を持つ者。また、これらくせ者を束ね、指揮をとるリーダーシップに秀でた者。
こうしたチームから学ぶものとして、人は必ず、何か一つ秀でた部分を持っている、ということ。
そこにフォーカスし、伸ばし、苦手な部分は皆で補うチームワークのちからで、会社全体の力を底上げしたいと考えている。
SLOGAN:「Challenge,Yes We Can.」
MISSION:「変化を恐れず、チームワークのちからで、ステークホルダーに信頼される企業であり続ける」
VISION:「“遊び心”とチャレンジスピリットで、モノづくりの未来を拓く」
筆者:酒井 靖之