「誰も知らない、誰も教えてくれない演出術」Vol.4 〜演出家・監督の聖域「俳優演出」〜
2020.11.17 (Tue)
2020.11.17 (Tue)
「誰も知らない、誰も教えてくれない演出術」Vol.4
〜演出家・監督の聖域「俳優演出」〜
弊社代表・酒井靖之監督が、演出家・監督を志す人々へ贈る、大好評企画「誰も知らない、誰も教えてくれない演出術」の第4回目。
今回は俳優の演出について語ります。
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世の中には、様々な映像・動画作品があります。
そのほとんどが、俳優、モデル等を使った作品と言っていいでしょう。
良い作品にするには、カメラワーク、ライトワークだけではなく、演者をどう動かすか、どういう演技をさせるかが重要になってきます。
演者の表情、立ち方、座り方、といったところにまで、明確なイメージを持って演出した作品と、演者のなすがままにさせた作品とでは、雲泥の差がついてしまうのが、映像というもの。
ましてやドラマ作品なら尚更なのは、言うまでもありません。
俳優さん、女優さんは当然、プロです。
上手に演技をしてくれます。
しかし、その上手さが、本当にその作品に合っているのか、シナリオが持つ一行一行の意味合いを本当に理解した演技が出来ているのか。
それをジャッジするのは監督です。
ジャッジというのは、ただ単に「正しい」「正しくない」ということではなく、この場面では具体的にどうすべきなのか、ということを、責任を持って判断し、明確に相手に伝えるということです。
役者に明確な演技イメージを伝える事ができなければ、自分の思うような作品にはなり得ません。
俳優を演出するということは、まさに監督にしかできない、まさに聖域です。
他のスタッフが「こういう表情をしろ」、「こういう演技をしろ」といっても、役者は全く聞かないでしょう。それは監督にだけ許されている権限だからです。
俳優をいかに動かしていくのか、ということが、映像作品の善し悪しの決め手になると言っても過言ではありません。
実は、僕も若い頃、俳優をやっていました。
俳優になりたくてなったという訳ではありません。
監督・演出家になるには俳優術を学ぶことも必要だろうと思い、俳優になったのです。
僕が弟子入りした演出家の先生から「お前、アルバイトをやるくらいなら、俳優をやれ」ということで、師匠の映像作品、舞台作品のほとんどに出演させていただきました。
そういえば、ギャラをもらったことはありません(笑)。
約3年の俳優生活の中で、数十本の作品に出演させて頂きました。
師匠の作品以外にも、連ドラや映画などにも出演していました。
その中で、演技とは何か、人の心を打つことができる演技とはどういうものかについて、自分なりに突き詰めることができたつもりです。
演技とは自分の肉体を使って、ある役柄、人物になりきり、リアリティを持って、そのセリフや動きを演じていく技術のこと。
演技の世界には、スタニスラフスキーをはじめ、さまざまな演技論というものが存在しますが、あまり細かく紹介すると、それだけで終わってしまうので、紙幅の都合上、今回は割愛させて頂きます。
僕の師匠が、よく俳優志望者に「タレントと俳優の違いは何か分かるか?」と尋ねていました。
「わかりません」というのが、ほとんどの俳優志望者の答え。
先生はいつもこう言いました。
「タレントというのは、自分が持ってるイメージを壊すことなく演技をする。俳優というのは、その置かれている役柄になりきる職業だ。だから、そのためにありとあらゆる訓練をしなければならない」と。
また、先生は「お前は俳優でいくのか、タレントでいくのか、どっちだ」とも聞いていました。
「タレントで行きたいのなら、自分のイメージを作りあげろ。そこから演技も崩すな」と。
今で言うなら木村拓哉さんがまさにその「タレント」の典型でしょう。
彼は「何をやっても、木村拓哉」と言われます。
当然、木村拓哉さんは、タレントとして勝負している方ですので、僕はそれが正解なんだと思います。
何をやってもキムタク、それこそが、キムタクがキムタクである存在理由だと思うのです。
しかし、職業として俳優を選んでいる人は、全部を同じイメージで演じては成り立ちません。
ロバート・デ・ニーロという名優を皆さん、ご存知でしょう。
彼の役作りにおけるストイックな姿勢には、俳優の誰もが尊敬しています。
彼は、ニューヨークで鬱屈とした日々を過ごす青年だったり、ロマンティックな男性だったり、アル・カポネ、ひいてはフランケンシュタインまで演じ、その全てにおいて高い評価を得ています。
デ・ニーロこそまさに「ザ・俳優」と言っても過言ではありません。
脚本というものを自分なりに解釈して、その人間そのものになりきっていく。
まさにそれが俳優という仕事であると思うのです。
その役になりきれているか、いないかを判断するのは、現場では監督が判断します。
真の俳優の条件というのは、与えられた脚本を、本当にリアリティのあるセリフや動きとして演じることができる、ということ。
本人は役になりきっているつもりでも、セリフが一定調子の棒読みだったり、その役柄がそんな動きするか、というような動きをしてしまっていたり、そのときの心情を表す顔の表情が上手く作れない、ということもあります。
それでは、視聴者に共感されることは絶対にないと言えます。
そもそも俳優術の基本が分かっていない人も多く見受けられます。
俳優の訓練というのは、様々なものがあります。
その中に、「エチュード」という、与えられた設定の中で、即興の演技をするという、稽古の方法があります。
たとえばAさんとBさんが20年前に、恋人を奪い合って仲違いした、という設定としましょう。
その二人が20年後、二人が40歳を越えたとき、再び酒場で出会います。
その時に、どのような会話がなされるのか。
それを、演出家がストップをかけるまで演じ続けるわけです。
自分とは違う人間になりきった時に、その人間はどのような言葉を発するのか、どのような動きをするのか。
こうした下地の訓練を積んでいないと、本当の意味での演技は難しいと思います。
上手な職人俳優、特に一昔前の俳優さん達は、舞台出身、いや現在でも舞台に上がっている人が多い。
舞台でしっかりと演技の技術を学んでから、映画・テレビの世界で活躍してるのです。
今は、演劇というものの経験も技術も無い人が、いきなりテレビで活躍していることが多いように見受けられます。
前述した「タレント」さんです。
つまり、その人がもともと持っている引き出し、魅力の中での勝負となります。
テレビの場合、タレント如何で視聴率が決まってしまうので、致し方ない事情もあると思います。
悲しいかな、今のテレビの世界は、演技に対する訓練を受けて来た人よりも、もともと歌が上手い人といったような、もともと演技ができてしまうタイプの人、つまりタレントさんが配役される方が多い。
映画の主役になるような、強烈な印象を与える演技まではできなくても、そこそこの演技は出来てしまうという、そういったレベルの方々で構成されているのが、今のテレビの現状と言えるでしょう。
しかし、職業として、一生俳優をやっていきたいとしたら、説得力のある演技ができなければいけません。
昔のドラマ等でよく見受けられたのが、相手に電話をガシャンと切られるといったシーンの時に、びっくりしたように顔をしかめ、また受話器に向かって、困ったような、呆れたような顔をする演技。
果たして、実際にそんなアクションをする人がいるでしょうか。
いつ何時でも、リアリティのあるセリフや動き、表情ができるかどうか。
そのような微妙なところに演技力が試されるのです。
バレリーナは、頭のてっぺんから、小指の付け根にまで神経を張り巡らせて、自らの肉体を使った美を追求していきます。
俳優も役柄によって、立ち居振る舞いも変えていかなければなりません。
精悍な青年を演じる時と、ナルシストな芸術家を演じている時とでは、笑い方ひとつも違うはずです。
同じセリフでもニュアンスによって、さまざまな伝え方、伝わり方があるのです。
その引き出しを多く持っている人が「名優」ではないでしょうか。
俳優としての力が試されるのは、やはり舞台という世界だと思います。
お笑いもそうでしょう。
ゼロコンマの間の悪さで、バカウケしたり、全く笑えなくなったりする「生の世界」。
滑ると、サーッと観客の空気が引いていくのがわかります。
まことに怖い世界ではありますが、舞台では、観客が面白いと思ってくれているかどうかの空気を、肌で感じることができます。
俳優も、本当の意味で演技を学ぶためには、リアルな空気を感じることができる舞台から始めるのが、本来の姿ではないでしょうか。
また、これが一番勉強になると思います。
舞台をやっていたときの演出家にも、いろんなタイプの方がいらっしゃいました。
舞台は、上演時間が二時間なら、二時間のすべてを「演技」で魅せていくもの。
映画やドラマはカメラワークや音楽なども使って、観客を引き込んでいく方法があります。
舞台においては、ほとんど俳優の演技のみで、観客をその世界に引き入れ、心を揺り動かしていかなければなりません。
当然、演技についての指導も厳しくなるし、長時間、長期間の稽古も必要です。
たった一行に数時間を費やして稽古するような状況も普通にあります。
演出家は演技のプロフェッショナルとどう相対するのか。
単刀直入に言いますが、作品というのは監督のものです。
演者が100%の演技が出来たと思ったとしても、監督が違うと言えば、その演技は違うのです。
なぜなら、その作品の全貌や細かいイメージは監督にしか分からないからです。
監督が、俳優と共通の認識を持つために、まず「本読み」というものが行われます。
台本に沿って、それぞれの配役、キャストが読み合わせを行う中で、監督は、こう読んでほしい、こういう表情をしてほしい、といったことを俳優に伝えて行きます。
監督はそれぞれのキャラクターも把握した上で、演技を落とし込んで行くのです。
その際、「ぼくだったら、こういう表情はしないです」「こういう風に思います」等、俳優側からもいろんな意見が出てきます。
それに対して監督が「彼はそういうことをあざ笑う心の持ち主なんだ。それを秘して、こういうやり取りをしている。だから、ニヤッとあざ笑う人間像が立ってくるんだ」といった、細かいやり取りが行われていきます。
そこで大事なのは、監督が自分のイメージしている世界観を、俳優ひとりひとりに、しっかりと伝えられるかということです。
伝え方は人によって様々ですが、ここで、Vol.1 ( 【誰も知らない、誰も教えてくれない演出術 Vol,1】 )でも語ったようなコミュニケーション力が試され、発揮されることになります。
俳優たちは、遠慮なく、様々な意見を出してきます。
それに対して「それ、いいね」と受け入れる場合もありますし、「こういうキャラクターだから、それは違う」と明快に説明していく場合もある。
いずれにしても、大のオトナがセリフひとつで熱い議論をする世界。
なんとも不思議な世界であることは間違いありません。
その後、「立ち稽古」という、動きを入れたリハーサルも行われます。
これらは全て撮影の前に行われます。
撮影時に、そこまでのやり取りをしていたとしたら、何日かかっても終わらないからです。
とことんこだわる俳優さんがいて、監督もとことんこだわるわけですから、必ず事前に話し合いをしておくのが通常なのです。
監督のイメージ通りの演技にならない場合、その理由は何なのかを説明しつつ、修正していく監督もいれば、自分でそのセリフの見本を見せる監督もいます。
監督は自分の中に、完璧なイメージがあるので、演じられるわけです。
実際、監督は並の俳優よりも演技の上手い人が多いと思います。
僕で言えば、自分でも俳優をやっていたので、撮影や本読みに時間が掛かりそうだなという場合は、実際に演じて、俳優に見本を見せてしまう場合もあります。
でも本当は、コミュニケーションで演技を是正していくのが正しいと思っています。
「父はロックンローラー」という作品があります。
最愛の妻を失った男と、彼が男手一つで育て上げた息子との物語です。
ここで僕は、テイク20までこだわったシーンがありました。
子供も高校生くらいになれば、父との会話もほとんどないのが普通です。
会話がなくたって、父は当然、息子を愛しています。
大学受験に合格した息子が、電話で、父に予期せぬ言葉を発するシーンがあります。
息子「父さん」
父「ん?」
息子「ありがとう」
父「・・・・」
息子の言葉を聞いた時の、その瞬間の父の表情に、僕は大変こだわりました。
こういった場合、普通は、どうしてもやり過ぎてしまって、オーバーなアクションになりがちです。
みなさんはどうでしょうか。
予期せぬ人から、予期せぬ言葉をもらった時。
一瞬、戸惑いませんか。
戸惑いと、思わず涙が流れそうになる気持ちが入り交じった、人生に経験したことのなないことを経験した瞬間。
そのときの表情。
これをテイクワンで演じることができる人が、いわば名優です。
(なかなか、このような心境を表情にするのは難しいので、もしよければ、鏡の前で試してみてください)
撮影時、その父役の俳優さんと、何度もコミュニケーションを取り、語り合いました。
息子から大学に受かったことを知らされた時に感じるのは、喜びよりも安堵ではないでしょうか。
演技を超えてくれ、と僕は言いました。
このシーン・カットに勝負を賭けていたのです。
この表情こそ、観客の心を揺り動かす、絶好のチャンスだと思ったからです。
果たして、テイク20で、彼は最高の表情をしてくれました。
演技で飯を食っているプロに、NGを出すというのはなかなか勇気が必要なことです。
僕にもこういう経験があります。
誰もが知っている悪役顔の売れっ子の俳優さんです。
僕の「ダメ出し」に「ちょっと俺、納得いかないです!」と彼は声を荒げました。
でも、違うものは違うのです。
その後、彼とじっくり話し合い、納得して、演出の意図通りの演技をしてくれました。
俳優さん、女優さんのプライドをちゃんと理解することも、すごく大事なことだと思うのです。
俳優さんをしっかり尊重した上で、俳優の圧力に負けていたら、視聴者にも負けてしまう。
われわれ演出の人間が、心していかなければならない、大事な事です。
まず、監督・演出家になりたい人は、最低限の演技論は学んでおいた方がいいと思います。
できることなら、俳優のワークショップ等に行ってみることも一つの手だと思います。
演技が分からなければ、結局俳優さんを使うことは難しいからです。
そして、上手い俳優さんと、その他大勢の俳優さんとの差はどこにあるのか、映画を見るなり、舞台を見るなりして、解析していくことも必要です。
そして、もっとも大事なことは、コミュニケーション力。
プロ同士のコミュニケーションですから、「こんな感じにして」といったアバウトなことではなく、やはり監督である以上、その背景にあるものから、その時の心理等を、きちんと深堀りして捉えていき、説明すること。
演出とは、演技を“リアリティ“あるものにする為にあると心得ることも大事です。
また現場では、俳優さんが演じやすいような空気を作っていってあげることも演出家に求められる能力の一つです。
あの手この手で持ち上げたり、あえて厳しいことを言ってみたり、いずれにしても良い演技を引き出すための空気感を作るのです。
決められたタイムスケジュールの中で撮影しているので、テイク10、テイク20といったこだわりを毎回やるわけにはいきません。
監督に求められる能力とは、なるべくテイクワンでOKを撮れること。
そのために、あらかじめ、何に注意するべきかを事前に察知して、伝えていく。
テイク1、テイク2などの少ない回数でOKを撮れるのが、監督の技量ではないでしょうか。
現在はネット動画を始め、様々な媒体での、新しい形態のドラマが登場しています。
これから監督を目指す人達も、俳優を目指す人達も、映画とドラマといったものに限定せず、どんどん新しい世界を開拓して頂きたいと思います。
しかし、媒体が変わっても、ドラマの世界は演出、演者、共にプロフェッショナルでなければならないと、僕は強く思っています。
時代は変わっても、どうかプロフェッショナルの精神だけは忘れないでほしいのです。
監督と俳優が、どうでもいいことで大喧嘩になり、数時間、別室で話し合った後、機嫌を直した俳優さんが、笑顔で帰ってくる。
セリフの一言へのこだわりで、涙まで流す女優さんもいる。
大の大人が、こんなことで大騒ぎしていることを、幼稚だと思うか、すごい世界でやっているんだな、と思うのか。
僕は後者でした。
だからこそ、どうでもいいことにこだわり続けてきましたし、これからもやっていきます。
若い皆さんも、たかが演技、たかが演出と思わないで、本気で取り組んでほしいのです。
監督を目指すなら、最低限の演技論を知っておいて下さい。
そうでなければ、「俳優を演出するなんて百年早い」ということになってしまいます。
また演俳優志望の方も、恥をかなぐり捨てて、外郎売りのセリフ(発声・滑舌の訓練のためのもの)や、エチュード等を基礎からしっかり学ぶとか、恐れずに舞台を踏むとか、プロフェッショナル意識を高く持って、挑戦し続けていただきたいと思います。
それが、これからの映像・動画業界をさらに底上げしていくことにつながる。
いや、これしかないと思っているからです。
VOL.4 終わり
日本屈指のクリエイター、酒井靖之監督が
最前線のクリエイティブの話題から、人生に役立つ情報まで縦横に語り尽くす!
クリエイティブに生きたいすべての人に贈るYouTubeチャンネル「sakaiTV」。
売れる動画・映像制作のパイオニア